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【橋本聖子の実家】借金20億超の牧場経営で父親は馬主!兄弟の年齢や職業は?

橋本聖子さんが東京五輪・パラリンピック2020の組織委員会の会長として就任しました。

橋本聖子さんと言えば、1964年の東京オリンピックの年に生まれ、夏冬合わせて過去オリンピックに7回も出場した、まさにオリンピックの申し子です。

しかしながら、スケート選手、そして競輪選手として華やかなキャリアが有る一方で、実家には大きな借金があったとも言われています。

この記事では、橋本聖子さんの実家や父親、そして兄弟についてまとめさせて頂きました。

【橋本聖子の実家】北海道で牧場を経営で馬主!

【橋本聖子の実家】北海道で牧場を経営で馬主!

橋本聖子さんは北海道勇払郡早来町(現:安平町)で生まれ、父親の橋本善吉さんは牧場を経営し、牛の仲介商をしていたそうです。

実家の家族は2人の両親と4人兄弟の6人家族で、橋本聖子さんは4人兄弟の末っ子として育ちました。

橋本聖子さんの実家は養牛で知られ、父親が経営する牧場「マルゼン橋本牧場」「牛のハシモト」として知られていたそうです。

また後にサラブレッドのJRA顕彰馬マルゼンスキーのオーナーにもなり、サラブレッドを育てる牧場でもありました。

橋本聖子の父親の名馬マルゼンスキー

橋本聖子さんは、田舎の牧場でのびのびと育ったのでは…?と思われるかもしれませんが、父親の善吉さんはとても厳しかったそうです。

【橋本聖子の実家】父親が厳しすぎで虐待疑惑も?

【橋本聖子の実家】父親は名馬マルゼンスキーのオーナー
左から2番目が橋本聖子の父・善吉さん

橋本聖子さんは子供時代を振り返って、この様に語っています。

厳しい父でした。子供は可愛い、だからこそ将来、辛い思いをさせないために父は厳しく接したと、後年母から聞きましたが、それは人によっては虐待と、とられかねないものでした。

「おはようございます!」

挨拶の時は、正座をして三つ指をつかなければいけない。ご飯を給仕して父に手渡すときは、必ずお茶碗に両手を添えて渡さなければ許されない。胃薬でも父が薬のビンに手をかけた間に、水の入ったコップを出さないと強い口調で怒られる。

引用元:MAG2NEWS

親子関係に有りながら「挨拶の時は、正座をして三つ指をつかなければいけない。」って…、ちょっと違う世界の方なのでは?と疑ってしまうほどの厳しさですね。

橋本聖子の父親

家は主にサラブレッドを生産する牧場でした。北海道ですので冬は吹雪ますから、ガレージの扉は開けておく。外出した父が帰宅した時は父の車のヘッドライトが遠くに見えると、家族は急いで外に出て、ガレージの扉を開く。父の運転する車が一度も止まらずに、ガレージに入れるようにしなければ怒られました。

「バカヤロー!! 何やってるんだ!!」

怒られた時の私をにらむ父の目は怖かった。父は絶対に妥協を許さない人でした。出来て当たり前で出来ない時は厳しかった。汚い言葉で叱責されました。時には言葉の前にいきなり手が出て殴られることもありました。

引用元:MAG2NEWS

ご自身でも「虐待ともとらえかねない」とおっしゃってますので、その厳しさたるや凄まじいものだったのでしょう。

しかしながら、それもそのはずで祖父母は開拓者、父親は宮城県三本木町から、母親は奈良県十津川村から入植したという開拓者だったそうです。

橋本聖子さんの祖父母が山奥を開拓し、そこに父親が牧場を始めたそうです。

日本が貧しい時代に両親ともに農家で育ち、ナタで木を一本一本切って畑にして、北の大地で生き抜いてきた。3人兄弟の次男だった父は小学校も満足に通えず、小さい頃から行商をしたり、ものすごく働いたといいます。

「泣いても誰も助けてくれない。涙を見せる暇はなかった」

それは父と母の共通した言葉です。

引用元:MAG2NEWS

極寒の北海道に入植し、ナタで開拓していく苦労は想像に難くありません。

そして橋本聖子さんのご両親もそんな祖父母の背中を見て育ってきたため、自然の中で回りに頼れず、生き残る上での強さを身につけていらっしゃったのだと思います。

【橋本聖子の実家】父親の影響で始めたスピードスケート

【橋本聖子の実家】父親の影響で始めたスピードスケート

そんな厳しい父親は、五輪の直後に生まれた娘に「聖子」と名付け、オリンピック選手になる夢を託し、橋本聖子さんのスケート選手としての人生の道を築いたのでした。

なんとしても自分の娘を五輪に出場させたいと、彼女の父親は3歳からスピードスケートを始めさせたんです。競走馬の牧場主だった父親は、『娘が転ぶと、馬用のムチで叩いてでも立ち上がらせ、厳しく指導した』と話していました。五輪に出場してからも橋本氏は、つねに『父のために……』と口にしていました。

引用元:smart flash
橋本聖子の父親

かなり厳しい父親の期待を一身に背負った橋本聖子さんは、のちに輝かしい活躍を遂げる素晴らしい選手になりました。

【橋本聖子の実家】父親の想いを受けて政治家に

1995年の橋本聖子と森喜朗

橋本聖子さんは1995年に政治家になっていますが、それも父親の影響が大きかったようです。

国会議員になったのもやはり、父親が『政治家になってほしい』と言ったからだと聞いています。本人は、そこまで政治家になりたくなかった。でも、義兄も当時自民党の衆議院議員で、森喜朗幹事長(当時)から激励され、受諾してしまったそうです」

引用元:smart flash

この記事にも書かれている通り、父親が厳しすぎた影響で橋本聖子さんはスピードスケートを始め、そして政治家にもなっているという事実を鑑みると、少し意思が弱く流されてきたというところはあるのかも知れません。

しかしながら、それは決して悪いことではなく、それで女性として世界最多のオリンピックに夏冬合わせて7回も出場し、大臣として、そして東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長にもなられたんですから、父親は見る目があったとも言えると思います。

橋本聖子の政治の父は森喜朗

また橋本聖子さんは、森喜朗さんのことも政治の世界に導いてくれた父親のような存在だと語っています。

現役時代の95年に自民党から参院議員に初当選した際も、正式に出馬要請したのが、当時の森幹事長だった。

それを物語るようなエピソードも。

五輪相就任後、初めて組織委の森会長を訪問した19年9月、森氏は橋本氏を「娘だと思っている」と口にした。

橋本氏も呼応。森氏について「父なんです」と笑顔を見せた。

引用元:日刊スポーツ

【橋本聖子の実家】父親の借金が20億円超?

橋本聖子の父親

橋本聖子さんの実家には、20億円以上の借金があったそうです。

「聖子さんの父・善吉さんは90歳を過ぎてなお健在ですが、バブル期の前後には地元の『千歳信用組合』から、本来の融資限度額の2倍以上である16億円余りもの融資を受けていました。ところが返済が滞り、そのあおりで千歳信組は99年に経営破綻。翌年には、債権回収を行なう整理回収機構が、信組の元理事長ら4人を相手取り、3億円の損害賠償を求めて提訴したのです」(地元関係者)

引用元:デイリー新潮

逆に牧場の経営者がそこまで大きなお金を借りれるんだな…というところにも驚きを感じざるを得ないですが、それにしても凄い借金ですね…。

「06年には、聖子さんの選挙資金と称して善吉さんが知人から2千万円余りを借り、一部を返済せずに訴訟で返済命令が下ったことが明るみに出ました。この件はひとまず解決しましたが、あわせて善吉さんには借金が20億円以上あるとも報じられたのです」(同)

引用元:デイリー新潮

どうやら娘の聖子さんの選挙資金も借りていたようですね。

厳しい父親だったようですが、自分の願った通りにオリンピックで活躍してくれ、可愛くて仕方がなかったのではないでしょうか?

20億円もの借金をどうやって返済しきったのか?は明らかになっていませんが、その後も牧場は善吉さんの孫が引き継いで経営しているようなので、破綻はしていないようです。

【橋本聖子の実家】兄弟の年齢は?仕事は何してる?

橋本聖子さんの兄弟は3人で、兄が1人、姉が2人いる事がわかっています。

  1. 長男:橋本善一(はしもと ぜんいち)
  2. 長女:高橋睦(たかはし むつみ)
  3. 次女:小熊あさ子(おぐま あさこ)
  4. 三女:橋本聖子(はしもと せいこ)

長男の橋本善一さんは、父の牧場を引き継ぎ、オーナー・馬主として活動していらっしゃいます。

長女の高橋睦さんは、元衆議院議員の高橋辰夫さんの奥さまです。橋本聖子さんの義兄にあたる高橋辰夫さんですが、2001年10月11日に急性心不全のため既に亡くなられています。

【橋本聖子の実家】兄弟の年齢は?仕事は何してる?

また次女の小熊あさ子さんは、橋本聖子さんの選挙活動の手伝いなどもしてくださっているようです。

橋本聖子さんが2021年現在56歳ですので、恐らく兄弟の年齢は57~65歳ぐらいの間ではないでしょうか?

普通は末っ子の女の子は可愛がられるものですが、強いメンタルをお持ちの橋本聖子さんを見ていると、兄弟からも厳しくされたのかも知れませんね(笑)