日本オリンピック委員会(JOC)の会長である山下泰裕さん。
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森会長の女性蔑視発言でも同行が注目されていました。
「JOC会長就任は森喜朗氏の後押しがあったと言われるだけに、森氏の“女性蔑視発言”にも当初は東京五輪組織委会長の続投を支持していた。その後、後任候補検討委員会を非公開にするように進言。JOCの理事会を非公開化した前例もあり、情報の透明化を避けようとする考え方の持ち主なのです」(前出・記者)
引用元:文春オンライン
「山下泰裕さんの嫁(妻)は、どんな方なんだろう?」
と疑問に思われた方も多いのではないでしょうか?
当サイトで、山下泰裕さんの妻・小野みどりさんとの馴れ初めについて調査したところ、犯罪スレスレのとんでもない奇襲作戦で出会っている事が判明しました。
もくじ
山下泰裕の嫁(妻)は小野みどりで超美人!
山下泰裕さんの嫁は、(旧姓)小野みどりさんです。
山下泰裕さんは1986年(昭和61年)1月15日に小野みどりさんとの婚約会見を東海大校友会館で行っています。今からおよそ35年前の話ですね。
こちらが当時の婚約会見のお写真です。
とてもお綺麗な方ですね!
山下泰裕さんは1984年のロサンゼルスオリンピックで金メダルを取り、同年には国民栄誉賞を受賞するなど、当時の国民的大スター。
記者会見のテーブルに鯛を置いているところなどは時代を感じさせますね。
そんな山下泰裕さんを射止めた女性とあり、当時の週刊誌を始めとした報道各社も大々的に取り上げていました。
ホテルの天井に届かんばかりのウエディングケーキの高さが山下泰裕さんのステータスの高さを物語っていますね…笑
ちなみに挙式代は1億2千万円も掛ったそうですが、招待客のレベルも段違いに高そうなので、ご祝儀もハンパなかったんでしょうねぇ。
1986年5月5日に東京・港区赤坂の赤坂プリンスホテルで挙式を行ったお2人ですが、真隣のホテルニューオータニがサミットの会場になっていたらしく、式の参列者のホテル出入りは警察官が身分証明書の提示を求めるほど厳戒態勢だったとか…。
山下泰裕の嫁(妻)小野みどりの馴れ初めは奇襲作戦!
そんな山下泰裕さんと小野みどりさんはどの様に出会ったのでしょうか?
山下泰裕さんと小野みどりさんの出会いは、かなり衝撃的な奥様による奇襲作戦だったようです。
山下泰裕さんは熊本出身で、同郷の先輩である元リコーの会長である三善信一さんにとても可愛がられていたそうです。
当時、ファッションにそれほど関心のなかった山下泰裕さんがヨレヨレのシャツを着ているのを見た三善さんが「そんな服を着ていてはダメだ。俺が洋服を買ってやる。」と銀座に連れていかれたそうです。
確かに当時のお写真を見ると「ザ・体育会系」という服装をされてますねw
当初の予定では、『銀座三越』に行く予定だったそうですが、混んでいたために急遽行き先を『銀座和光』に変更。
そこで『銀座和光』で当時従業員として働いていたのが、小野みどりさんだったのです。ドラマのような運命的な出会いですね!
小野みどりさんは山下泰裕さんの大ファンだったそうで、顧客リストを利用し住所を特定。ファンレターや写真などを送って猛アプローチ!
当時は山下さんも引退したばかりで、時間が沢山あったそうでデートをすることになったそうです。
ファンレター&写真の奇襲作戦で、まんまと彼のハートを射止めた花嫁に、女性ファンから「ズルイ!」の声もありました
当時の報道にもこの様にありますね。
2003年には個人情報保護法が出来てますので、現在であれば完全アウトの奇襲作戦ですね(苦笑)
実際のところ、当時も女性からはかなりバッシングを受け、小野みどりさんの実家の神奈川県の鎌倉にもメディアが大挙して押し寄せたそうで、実家の犬が驚いて吠えなくなってしまったとか…。
山下泰裕の嫁(妻)小野みどりへのプロポーズの言葉は?
山下泰裕さんは婚約記者会見で小野みどりさんとの馴れ初めについて語ったそうですが、その中でプロポーズの言葉も紹介されました。
山下泰裕さんは、怪我が完治しなかったことから、不敗記録が途切れぬまま、1985年6月17日に28歳という若さで引退を決断しましたが、引退後は、英国に留学に行くことが決まっていました。
そこで、山下泰裕さんは1986年1月6日に六本木のすし屋に小野みどりさんを連れていき、
イギリスに一緒に行ってくれ!!
とプロポーズをしたそうです。
これに対し小野みどりさんは、
イギリスだけなの??
と問い返された山下泰裕さんは、
一生そばにいてくれ!!
と大慌てで付け加えたとか。
なんとも微笑ましいエピソードですね。
山下泰裕のプロフィール
- 名前:山下泰裕(やました やすひろ)
- 生年月日:1957年6月1日
- 出身地:熊本県
- 身長:180cm
- 体重:128kg
- 段位:8段
- 引退:1985年
1984年のロサンゼルスオリンピックでは、2回戦で肉離れを起こしながらも優勝した決勝戦のラシュワン選手との熱い戦いは今でも「伝説」と語り継がれています。
金メダルを取った山下泰裕さん同年国民栄誉賞を受賞し、1985年に引退。
翌1986年に小野みどりさんと結婚し、3人の子供を授かっています。
引退後は、数々の海外遠征、そして留学経験などの実績を買われ、2003年9月、国際柔道連盟の教育コーチング担当の理事に就任。
一年間イギリスに留学していた山下泰裕さんは英語も堪能だそうです。
また1996年4月より東海大学体育学部教授に就任。2009年4月には学部長に就任し、2011年11月には東海大学副学長に就任し、スポーツ・社会連携担当を務めています。
2013年6月新任で日本オリンピック委員会理事となり、2016年1月より味の素ナショナルトレーニングセンター(NCT)のトップに就任しています。
2019年6月、日本オリンピック委員会(JOC)会長に就任。同年12月5日、国際オリンピック委員会(IOC)理事会は山下を新たな委員候補に推薦し、翌年1月10日の総会で正式にIOC委員に就任しています。